地方にある八百万の仕事たち

 

この国には八百万(やおよろず)の神々がいる。
日本的な神道の教えだ。
ちなみに、この「八百万」というのは厳密な数ではない。
森羅万象、つまり、身の回りのあらゆるものには神が宿っているという考え方に基づく。

さて、地方といえばこんなセリフを聞いたことがないだろうか。
「地方には仕事がない」
都市部に人口と商業が集中し、ローカルなエリアからはさまざまなものが失われている。
だから、地方出身者は地元にUターンすることが困難だとされるし、田舎への移住希望者が最初にぶつかる壁も求人の乏しさだと言われている。

いや、本当にそうだろうか。
実際に田舎に移住したぼくは、このことを大きな声できみたちに伝えたい。

地方に、仕事がないなんて、嘘だ。

 

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「地方には仕事がない」という嘘。

 

ぼくは地方でひとつのリアルを見た。
それは「地方には仕事がたくさんある」ということだ。

「本当に?」
そう疑う人もいるだろう。
実際、都市部の人口集中は年々強まるばかりである。
「地元には仕事がない。だから都市部へ行くのだ」ということの現れかもしれない。

いつかは地元に帰りたい。
でも地元には働き口がないので都市部に住まざるを得ない。
そういう人もいるだろう。

でも、本当に地方には仕事はないのだろうか?
「本当に?」

そんなことはない。
地方には今も、いや今だからこそたくさんの仕事がある。
そして、それらを担ってくれる若者を求めているのだ。

 

 

八百万の仕事たち。

 

地方に仕事はある。そして、担い手を欲している。
それこそが、ぼくの感じている地方の現状だ。

ぼくは現在、「地域おこし協力隊」として、また地方ライターとして茨城県稲敷市という片田舎で生活している。
ぼくがいちばんやりたかったライターの仕事をナリワイにするまでの話はこの間書いた。

参考記事:新卒ライターになれなかったぼくが物書きを仕事にするまで

稲敷市の人口密度は東京・中野区の約1/100。
都市部と比較すると、広大な土地にごくわずかな人びとが暮らしている、そんな印象を受ける。

そんな環境だが、仕事はある。
ある、といっても、それは仕事の形をしてはいない。
「こんなことをしてくれる人がいたらいい」という願望、すなわちニーズである。
地方には誰かにやってもらいたい要望がたくさんあるのだ。

例えば、大工。
どんな田舎でも家は建つし、事故や災害で補修の依頼もある。
だが、地方では後継者不足で会社をたたんでしまうケースが少なくない。

実際、ぼくがお世話になっている工務店さんも、じぶんがやれなくなったら会社をつぶすと話している。
工務店としては続けていけない。だが、そこの大工たちにやってもらいたいことはある。
棟梁は、会社員だったらとうに定年を迎えている年齢である。
そういう人たちが、かろうじて地域の要望に応える形で仕事をしているのだ。

跡継ぎがいれば、地域のニーズを汲み取ることができるのは言うまでもない。
こうした生活基盤を支える仕事は、それぞれのエリアにおいて一定のニーズを生み出している。

同じような理由で、土着の職人や農家など後継者不足に悩んでいるところは多い。
「やってくれる人さえいれば」というこの状況は、ある意味危機的だ。
だが、これはチャンスでもあると考えられる。

 

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賢く生きるマルチワークのすすめ。

 

こういう話をすると、決まってこんなことを言う人が現れる。
「そんなんじゃ食っていけないよ」と。
もちろんである。縮小していく地方の市場において、何かひとつで食べていくというのはしんどい。

ただ、なにも田舎で大工になれと話しているわけではない。
ぼくが一番言いたいのは「どんなエリアにでもナリワイのタネはある」ということだ。

これまで話したように、地方にはさまざまなニーズがある。
それらを把握して、いくつかをじぶんの仕事として組み立てる。
すると、人ひとりが1年間食べていくためには十分な収入が見込めるはずだ。

複業による収入の確立。
そう、これがマルチワークだ。

例えば、かんたんなDIYのスキルを得て、地域の家々のメンテナンスを一任する。
趣味の絵を子どもたちに教える教室を開いたり、楽器を利用した高齢者向けのボケ防止ワークを提供する。
借りた畑でその土地のものを育てて販売する(もちろん時給した食材で生活費は浮くだろう)。
マルチワーカーを支えるナリワイのタネは、こういう形をしているのだ。

 

また、なにも創業にこだわる必要もない。
今やコンビニなどのチェーン店は全国各地にあって、地域に一定の労働環境を提供している。
地元の企業も人手不足によりアルバイトを募集しているところが多い。

福祉・介護の仕事もこれから増えていくだろう。
専業でなくてもいい。
週に数時間をそこで働き、その傍らでじぶんのやりたいことを収益化すればいいのだ。

小説『きいろいゾウ』で、主人公のムコが老人ホームでアルバイトをしながら、夜は自身の執筆活動を続けていた。
これはマルチワークの典型だと言えなくもない。
田舎は大概において生活コストが安いし、マルチワークで好きな仕事をやるにはぴったりかもしれない。

 

 

つながりと支え合いの人間的生活。

 

「好きなことを仕事にしたい」
そんな願望は誰しもあると思う。
端的に言えば、それは可能だ。
ニーズのあるところへ行けばいい。

あなたのやりたいことを欲してる人はどこにいるのか?
それが分かれば、趣味や特技は仕事になる。
目の届く範囲だけでなく、広い視野で世界を見渡してみよう。
あなたを求めている人が、きっと見つかるはずだ。

ニーズがあるのはビジネスだけではない。
地域は実に多くのマンパワーによって支えられている

例えば、祭りの裏方などがそうだ。
神輿を担ぐ、山車を運行する、お囃子を演奏する…
地域に伝わる祭りもまた、後継者不足により衰退しているところが目立つ。

地域のコミュニティに参加しながら、つながり合いのなかに身を置くこと。
そんな人間らしい暮らしのあり方が、マルチワークによって叶うこともあるだろう。

やりたいことを仕事にしよう。
あなたの「仕事にしたい」は、だれかの「やってほしい」だ。
なぜなら、この世界には八百万の働き方があるのだから。

 

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